今月のアラビア語 7月
今月はコーランの内容について触れさせて頂きます。
全てのイスラム教徒の原点である「コーラン」は毎回礼拝の中でイスラム教徒が唱えるのがコーランの第一章全文です。
(以下 ウキペディア フリー百科事典から引用させて頂きます。)
ハディースの中に「祈りの中に開端のスーラを入れない場合、その祈りは無効である」と書かれているせいで、
多くのイスラム学者がこの節の重要性を強調している。
開端(アル=ファーティハ、Al-Fatiha)はクルアーンの最初のスーラで、マッカ時代最初期の啓示の一つである。
アッラーの導きと支配、慈悲を称える7つのアーヤから構成される。
このスーラは毎日の祈りサラートの最初の部分に使われる。
ムスリムは1日に最低17回は開端を暗唱する。
開端章は、ファーティハ・アルキターブ(Fatiha al-Kitāb)とも呼ばれる(ファーティハは動詞「開く」の派生語)。
ムスリムは、クルアーンはアッラーからアラビア語で与えられた啓示であると信じている。他の言語への翻訳は単に
表面的な訳に過ぎず、真のクルアーンではないと考えている。
原語のアラビア語とその翻訳は以下のようになる。
(以下日本語翻訳は我が大学の恩師故伴康成先生の「世界の名著15 コーラン:中央公論社」から引用させて頂きました。
その為、中央公論版は“開巻”、ウキペディアは“開端”となっておりますがご了承下さい。)
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クルアーン(コーラン)第一章 開巻の章
سورة الفاتحة
ul-fatiha surat
スーラ・トル・ファーティハ
開巻の章
بسْمِ اللّهِ الرَّحْمـَنِ الرَّحِيمِ1-1
r-raḥīm r-raḥmāni Bismillāhi
ビスミッラーヒッ ラハマーニッ ラヒーム
慈悲ぶかく慈愛あつき神の御名(みな)において。
1:2 الْحَمْدُ للّهِ رَبِّ الْعَالَمِين
l-‘ālamīn rabbi lillāhil Al ḥamdu
アルハムド リッラーヒ ラッビル アーリミーン
神に讃えあれ、万有の主。
1:3 الرَّحمـنِ الرَّحِيم
r-raḥīm Ar raḥmāni
ラハマーニッ ラヒーム
慈悲ぶかく、慈愛あつきお方、
1:4 مَـالِكِ يَوْمِ الدِّين
d-dīn yawmi Māliki
マーリキ ヤウミッディーン
審判の日の主宰者に。
1:5 إِيَّاك نَعْبُدُ و إِيَّاكَ نَسْتَعِين
nasta-in iyyāka wa na’budu Iyyāka
イッヤーカ ナアブドゥ ワ イッヤーカ ナスタイーン
あなたをこそわれわれは崇めまつる、あなたにこそ助けを求めまつる。
1:6 اهدِنَــــا الصِّرَاطَ المُستَقِيمَ
al-mustaqīm ṣ-ṣirāṭ Ihdinā
イフディナー スィラータル ムスタキーム
われわれを正しい道に導きたまえ、
1:7 صِرَاطَ الَّذِينَ أَنعَمتَ عَلَيهِمْ غَيرِ المَغضُوبِ عَلَيهِمْ وَ لاَ الضَّالِّين
Dallin la wa alayhim magdubi ghairil alayhim an’amta al-laḏīna sirāṭ
スィラータ ラッズィーナ アンアムタ アライヒム ガイリル マグドゥービ アライヒム ワラッダーッリーン
あなたがみ恵をお下しになった人々の道に、お怒りにふれた者やさまよう者のではなくて。
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上記を唱えた後に「Amin」アーメンで締めくくります。
この第一章は重要ですので、‘コーラン第一章’で検索すればいくつかのサイトが読誦して
いるものの録音を聞く事が出来ます。
以上