イベント情報
断食明けの食事「イフタールの会」が開催されました。Iftar held in Kyoto and Yokohama
関西イフタールの会 اللغة العربية
ヒジュラ暦の第9月の一ヶ月間、ムスリムは日の出から日の入りまで飲食を絶つ「ラマダン」を行います。 日没後の食事である「イフタール」には、家族や親戚そして友人が一同に集まり、団欒のひと時を楽しみます。
2019年、日本でのラマダンは5月6日から開始。日本人学生とオマーン人学生の交流の場として、日本オマーンクラブは特にオマーン人留学生が多く集まる関東と関西の二地区でイフタールの会を実施しました。
5月17日金曜日の夕方、関西では京都は京都大学近くのインド料理店「RAJU 百万遍店」にオマーン人留学生7名、日本人学生5名、そして関西在住のクラブ会員4名を含めた総勢18名が集まりました。19時過ぎの断食明けにはお互い「アッサラームアライクム!」や「ラマダンカリーム!」 と笑顔で挨拶を交わし、イフタールの幕開けを共に祝いました。
お皿にたっぷりと盛られたデーツ、スイカやパイナップルなどのフルーツ、羊肉の煮込み やビリヤニ、そしてナンといった多くの食事が並ぶ中、会は鷲見朗子先生の流暢なアラビア語の挨拶で始まりました。会員の江村彩子さんは自身のオマーン滞在経験を綴った著書を紹介され、同じく会員の石川玲於奈さんはアラビア語と日本語によるユーモア溢れる話で場を大きく盛り上げました。
オマーンと日本の文化の共通点、数百種類あるデーツの見分け方、アラビア語と日本語を習得することの難しさ・・・ 日本語、英語、そしてアラビア語が飛び交う、ぎゅっと濃縮された国際交流の時間はあっ という間に過ぎ、お互いに再会を約束して21時半に散会を迎えました。 中には東京でのイフタール振りに再会したメンバーもおり、再会と新しい出会いに満ちたひと時となりました。
関東イフタールの会
5月18日(土)、横浜市内のアラビア料理レストランAlAinにて、関東地区の学生たちを中心としたイフタールの会が行われました。
6時ごろから徐々に参加者が会場に集まりはじめました。 6名の留学生と日本人学生5名、クラブ会員4名の計15名です。宇都宮から三時間かけて駆けつけてくれた留学生が2名いました。日本人学生は日本中東学生会議メンバーと、会員で神奈川大学大川真由子准教授のイスラーム文化研究のゼミ生たちです。日本人学生は、断食の苦労とイフタールの喜びをムスリムと分かち合いたいと、朝から何も食べずに、あるいは昼食を抜いて会に臨んでいました。
日没まではそれぞれが自己紹介をしながら遠藤名誉会長がオマーンから買ってきたお菓子が配られるなか、歓談しました。日没と共に食事開始、滋養に富んだデーツと日の出から断食していた胃にやさしいスープから始まります。次いで、チーズやオリーブの入ったサラダとひよこ豆のペースト、そら豆とひよこ豆のファラフェルやシシカバブなど、様々なアラビア料理が続きました。
日本に来てまだ1か月半の留学生やオマーン人と話すのが初めての日本人学生もいましたが、食事をともにしているうちに打ち解けていき、おしゃべりを楽しみながら次々と料理を平らげます。イフタールはラマダン中の特別な食事ということから、何から食べ始めるか、どんな料理があるかなどに関心が集まりました。
中東の国々のことやメッカへの巡礼の話、日本人になじみのある『シンドバッドの冒険』や『アラジン』などの映画、普段見ている日本のドラマの話などが話題にあがっていました。人気映画『ボヘミアン・ラプソディー』の主人公が、旧オマーン領のザンジバル出身であることが、彼の人生に大きな影響を与えたことを今回初めて知った学生も多かったようです。
来日間もない中、日本語で行う授業に必死についていこうとしている留学生に日本人学生は逞しさを感じたとのこと。一方、宇都宮名物の餃子が好きなど、日本に徐々に溶け込んでいる様子も会話の中で垣間見られました。オマーン人留学生からは、「おいしいアラビア料理とフレンドリーな仲間との会話を楽しめた」「オマーンでのラマダンを彷彿させるいい集まりだった」「日本人とアラビア料理を食べたり、話したりする貴重な機会だった」「思い出に残る特別な時間として大切なムスリム文化を日本人と共有できた」(原文はここをクリック19_Iftar_comments)など、楽しい交流のひと時が感じられるコメントが寄せられました。
アラビア語、日本語、英語が飛び交っていたイフタールでしたが、オマーン人学生が日本人学生に単語を教えるシーンもありました。また、別れ際に呼び止めあって連絡先を交換し合う姿が見られ、学生たちの心に残るものになったようです。
今回のイフタールに参加してくれた留学生と日本人学生たち、大川先生、クラブとしてこの機会を与えてくださった方々に深く感謝します。(小サイズの画像はクリックすると拡大します。)
世界の昆虫標本オマーンで展示へ
会員の皆様へ
当クラブの事務局長で世界のアゲハチョウ研究家の中江信さんが中心となって、過去50年間に亘って収集された世界の昆虫標本(蝶・蛾、カブトムシ、セミ等)約7000頭がオマーンの王宮府に寄贈されたことは以前お知らせした通りですが、この度、マナ(Manah) に新設される国立歴史博物館(Museum Across Ages)にて常設展示される方針となりました。国立歴史博物館は2年後に開館される予定です。
中江信さんと共に、団長として遠藤晴男名誉会長、そして会員の小原みね子さん(女性昆虫専門家、世界のカブトムシ、セミ等寄贈者)の3名が4月19日より約1週間オマーンに招待され(を訪問し)、マスカットでナスル・アルキンディオマーン王宮府事務総長と打合せを行った成果です。在位50周年記念事業の一環として、マスカットのオペラハウスでの展示やサラーラ、ソハール等での移動展示も検討されることとなりました。
今回の寄贈は、中江信さんの蝶友である、久枝譲治元駐オマーン日本大使(オマーンの蝶、寄贈者)より依頼を受け、遠藤晴男名誉会長が、(現地の)オマーン政府高官と粘り強く交渉を続けた末、約2年の年月を経て、今回のオマーン王宮府との話し合いにこぎつけ、オマーン側の方針の確認ができました。又、寄贈した約7000頭のうち、破損が約20頭に留まることを確認し、修理を行い、すべて展示可能な状態となりました。今回初めて標本を見た王宮府チームは標本の質の高さに驚いていました。又、今回の訪問に合わせて浜松市の松島英勝氏が率いる“遊鶴の会”の女性グループが作成した見事な連鶴(無形文化財)も贈呈されました。
オマーンは国土の大半が砂漠である事もあり、子供達には昆虫採集という”文化“がなく、蝶やカブトムシを網で採ったことがないというのが現状です。今回の寄贈で一人でも多くのオマーンの子供達が昆虫に興味を持って欲しいと中江さんは話しています。3名は、オマーンの昆虫標本の数を増やすべく、Wadi TanufやWadi Tiwi等のオアシスでで昆虫採集もしました。砂漠の国オマーンにも約75種の蝶が小さなオアシスに棲息しています。気温が40度ありましたが、遠藤名誉会長も参加して3人で40数頭を採集し標本を作製して、王宮府へ寄贈予定です。
さらに、小原みね子さんより、蝶柄がお好きと仄聞しておりますブサイナ王女に日本の国蝶オオムラサキと、両国に棲息するキアゲハの標本を贈呈し、翌日ブサイナ王女から直筆でのサイン入りの礼状も頂きました。これも歴史に残る成果です。ご存知のとおり、ブサイナ王女の母は、カブース国王の祖父に当たるタイムール国王と結婚した日本人女性、故大山清子さんです。
昨年8月に久枝元駐オマーン日本大使が宮中にて天皇(現在の上皇)皇后両陛下に帰朝報告を奏上した際、本件にも言及し、生物学のお好きな両陛下に大層お喜びを頂いたと仄聞しています。本プロジェクトは、日本、オマーン両国の今後の文化交流の発展に繋がるものであり、当クラブとしても引き続き応援していきたいと思います。
日本オマーンクラブ事務局
(追記) 今回の訪問については、中日新聞と静岡新聞に報道されました。
2019年度総会とブサイディ大使の講演会が開催されました
去る4月18日、東京広尾のオマーン大使館にて2019年度の総会が開かれました。春らしい晴天の中、50名の会員が出席し(委任状を含め半数以上)、森田監査役の司会のもと滞りなく進められました。
当日は珍しく遠藤名誉会長のお姿がありませんでしたが、その理由は? 実は、中江事務局長がオマーンに寄贈されたアゲハチョウ等の昆虫約7000頭の展示・説明のため、その晩に中江事務局長とともにオマーンへ発つことになっていたのです。オマーンでは子ども達が昆虫を集める習慣はなく、また、アラブ諸国の中でもこのような標本は類がなく、世界のアゲハ蝶研究会とオマーンクラブからの大変貴重な贈り物となりました。
今年度は、オマーン人留学生の講演会や写真コンテスト等、新しい活動も計画されていることが報告されました。また、ジョーンズ会長から、当クラブには様々な才能を持った会員が集まっており、いろいろな案を出し合って、自発的な活動を進めてほしいとのお言葉があり、それに対し、会員からも自身の経験を活かした活動の提案がありました。
総会の後は、コーヒーブレイクを挟んで、ブサイディ新大使によるプレゼンテーション「Hidden Jewels of Oman (オマーンの隠れた宝玉)」が行われました。大使は物理学の博士号を持ち、大学で教鞭をとっておられた方です。まずは、アラブ人で初めてアメリカ合衆国への使者となったのがオマーン人だったというお話から始まりました。そして、観光に力を入れているオマーンで、近年続々と建設されている最先端の空港やホテル、観光施設とともに、城や要塞などの歴史的名所、海・谷・動植物といった自然環境の素晴らしさを、豊富な写真でもってご紹介くださいました。出席者からは感嘆のため息がもれるとともに、予定時間より30分も多く講演してくださった大使の熱心さに、感激の声が聞かれました。
まさに、オマーンの隠れた宝玉に魅了された講演会となりました。(写真はクリックすると拡大します。)
講演会「オマーンの歴史を眺める」が開かれました
初春の候、オマーンスルタン国大使館にて、宇都宮大学国際学部准教授 松尾昌樹先生を講師にお迎えして、3月13日に講演会が開催されました。オマーンは、中東の中でも独特な歴史を持っています。今回は、オマーンの歴史に登場した英雄や、有名なエピソードを通じて、オマーンの歴史を辿っていただきました。
冒頭松尾先生が自己紹介の中でオマーンとの出会い等を紹介されました。また歴史は様々な局面から探求することができることも語られ、先生の恩師の著作等にも触れられました。
オマーンの地形から、古くは峨々とした山間に各部族が孤立した存在であったことを述べられ、地理的位置からペルシャの攻撃受けた17世紀以降に焦点を当てられて、オマーン史の流れを次のように分けて解説されました。
1624~1741年 ヤアーリバ朝
初代ナースィル・ブン・ムルシドがイマームに選出され内陸部を統治したが、海岸部はポルトガルが支配しており、群雄割拠の時代であった。この時期のニズワ城、ジャブリー城等、イスラーム教イバード派の学者の拠点が現代にその姿を残している。またオマーンを含むアラブ文化では文芸が重視され、文芸を愛した為政者が文芸人を食客に迎えた数々の名城が現在でも存在しており、オマーンでは他のアラブ諸国では現存しない17・18世紀のアラブの建築物が保存されている。
1741年~現在 ブー・サイード朝
初代アフマド・ブン・サイードがペルシャ軍を打ち破り、オマーンを再統一した。
2代スルターン・ブン・アフマドは今日のマスカトの礎を築き、ここを拠点として海外帝国の基礎を築いた。続く3代サイード・ブン・スルターンはザンジバルに遷都し、オマーン海洋帝国の最盛期を迎えた。その後イギリスの保護領となった時期を経て、1970年に現在のオマーンが建国された。
現在のカブース国王はブー・サイード朝の方ですが、松尾先生の講演で現王朝以前のオマーンについて、理解を深める大変貴重な機会となりました。
また、講演会終了後、大使館ロビーにて、松尾先生を交えて懇親会を行いました。大使館の方々のご配慮で、大変美味しいオマーンコーヒーとデーツ等を楽しみました。
新大使を迎え歓迎祝賀感謝会が開催されました
2019年2月21日(木)、オマーン大使館にて、「ブサイディ大使ご就任歓迎会・大使館員感謝の会」が開催されました。新しく着任された大使・参事官・一等書記官をお迎えし、また外交官ご夫妻だけでなく大使館員の皆様もご招待し、大使ご就任歓迎のお祝い、そして大使館員への日頃のご協力・ご支援に感謝をこめた日本オマーンクラブ主催の昼食会です。
会場に着くと、まずブサイディ大使ご夫妻がテーブルを廻られ、お一人お一人にご挨拶下さり、お心遣いに一同感激しました。中江事務局長と岩城理事の司会で、祝賀歓迎式が和やかに始まり、ジョーンズ会長の歓迎のご挨拶に続き、ブサイディ大使が日本とオマーンの一層の友好とクラブのますますの発展を祈念されました。
日本では桜の開花が待たれるこの頃ですが、オマーンでも2月は、ジャベル・アフダル(緑の山)の中腹ワカンでは桜に似た杏の花が満開になります。杏の花のスライドをバックに、日本オマーンクラブから、大使御夫妻・参事官・一等書記官はじめ、大使館員の皆様へささやかな記念品が贈呈されました。また遠藤名誉会長の「オマーン見聞録」のアラビア語訳が、このたびオマーンで出版された旨発表がありました。
アラブ音楽の流れる中、ビュッフェ形式で、大使夫人のお手料理と公邸シェフが作られた沢山のオマーン料理のご馳走を取り分け、どれも大変美味しく頂きながら、クラブ会員と大使館のスタッフが引き続き歓談を楽しみました。アラブの世界では「食事を共にする」ことは「友人となる」ことでもあり、大使ご夫妻はもとより大使館員の方々と、膝を交えて交流する貴重な機会となりました。
最後に岡部理事が音頭を取られて、名残惜しいひとときを全員の三本締めで締めくくり、日本とオマーンの末永い友好に心を一つにさせて頂きました。
ご準備頂いた幹事の皆様、楽しい時間を大変感謝しております。(小サイズの写真はクリックすると拡大します。)
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