イベント情報

講演会「オマーンの地質探訪」が開催されました

2024-11-10

10月15日、2024年第3回講演会がオマーン大使館で開催されました。講演は、小笠原正雄博士による「オマーンの地質探訪 オマーンの自然景観を造った地質的背景」です。

                                                    

小笠原博士は、国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センターで、長年、地質と鉱物資源に関する研究をされた方で、2012年の日本・オマーン国交樹立40周年記念行事として、産業技術総合研究所地質標本館での特別展の企画も務められました。

小笠原博士は、地球の成り立ち、大陸や海を形造った地殻変動、さらにアラビア半島の形成から、オマーンに見られる地質的な特徴を解説されて、オマーンの景観が造られた背景、そしてそれが地質学的にいかに貴重なものであるかを、地球の歴史をさかのぼり、詳しく解説してくださいました。

プレートテクトニクス(理論)に拠ると、固い地殻は流動する上部マントルに載って移動するので、それらを併せてプレートとして扱うそうです。現代では15程度のプレートに分かれているそうですが、46億年前に地球ができて以来離合集散を繰り返しているそうです。現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸、アラビア半島、マダガスカル島を含んだ巨大な大陸であったゴンドワナ大陸という超大陸が、今から2億年ほど前から分裂を始め、6500万年前にはアフリカ、南米、インド、オーストラリアの各プレートが分かれたと考えられています。そして、約4000万年前にアラビアプレートが形成され、アラビア半島とアフリカ大陸が分離したのだそうです。

オマーンの地質は、その成り立ちから7つのユニットに分かれるそうです。これらの地層をイメージでとらえると、古い本が下にあり、その上に新しい本が積み重ねられているのですが、「オフィオライト」層では本棚が倒れて、一部の本が上に乗っているような状態に近いそうです。

             

このオマーンに分布する「オフィオライト(ophiolite)」は、1億年前(白亜紀後期)のマントル由来の岩石からなるもので、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際、海洋プレートの一部が大陸プレートに乗り上げて、地表面に現れてしまった部分と考えられています。海洋プレートは、数種類の岩石が層になっていて、深海の堆積物からなる堆積岩、マグマが冷えて固まってできる玄武岩、マントルの上部にある橄欖岩などからできています。このオフィオライトはマスカット近郊の海岸線に沿って約550kmにわたって露出しており、これは世界最大規模となるそうです。ここでは海底〜上部マントルまでの海洋プレートの断面、岩石の組み合わせと層構造が観察できるそうで、世界中の地質学者がオマーンを訪問するそうです。

オフィオライト中の特徴的な景観の一つに枕状溶岩があります。これは、玄武岩質のマグマが海底に噴出し、玄武岩溶岩が流れ、その上に新たな玄武岩溶岩が重なって、枕のような形になるため「枕状溶岩」と言われています。オマーンではたいへん保存状態の良い枕状溶岩を見ることができるそうです。

橄欖岩が分布するところは、ドライな環境のため植生がなく、更に岩石の風化が進まないため、人によっては「火星のような地形」と表現されるそうです。なお、橄欖岩は、二酸化炭素の吸収岩石として脱炭素ビジネスの事業対象として近年大きな注目を集めているそうです。

また、石灰岩がオフィオライトを覆って分布している場所では、素晴らしい景観が見られるそうで、マスカットの東側にある海岸は石灰岩の景勝地となっており、小笠原博士は良くここを訪れては、日没までいらっしゃったそうです。

 

最後に、私達の足元・地底はまだまだ未解明で、多くの神秘に包まれています。地球の中のマントルにある橄欖岩は、地球で最も多く存在している石にも関わらず、地下深くにあるため、私達はほとんど見る事が叶いません。オマーンにあるオフィオライトは、地球の深部を直接見たり触ったりできる貴重な場所だそうです。

筆者は、オマーンを訪れた時にはオフィオライトを見渡して、心静かに地球の成り立ちに思いを馳せてみたいと思いました。

講演後は大使館のご厚意で出されたコーヒーとデーツで、小笠原博士を囲んでの懇親会へと続きました。

レストラン 「ラ・メンサ ジャスミン」にて サマーパーティが開催されました

2024-09-22

8月22日の猛暑の中、日本オマーンクラブ恒例のサマーパーティが開催され、会場には多数の方々が集まりました。特別ゲストとして、Hatem Al Yaqoubi臨時大使ご夫妻をはじめ、オマーンクラブ会員とそのご家族やご友人、早稲田大学にオマーンから留学中のHunaida Al HinaiさんとAisha Al Hashimiさんも出席されました。アラビア語をスルタン・カブース大学で学んでいる日本の大学生3名も参加し、多様で沢山の方々の交流の場となりました。

                   

ジョーンズ会長のご挨拶後、久枝譲治元大使の乾杯のご発声とともにドリンクとお食事を頂きながら美味しく楽しい交流が深まります。そして、会員の石川良男さんとお仲間の音楽ユニットタロウさんによるウクレレ演奏と華麗な歌声は、会場の雰囲気をさらに和やかにし、花を咲かせました。有名なヒット曲や懐かしいミュージックは耳になじみ素晴らしい空間となりました。

皆様お待ちかねの恒例のクイズ大会では、柴田芳彰さんによる詳しい解説があり、楽しみながらオマーンと日本について多くのことを学ぶことができました。クイズの成績優秀な回答者には、オマーンの蝋燭立て、コーヒーポット、フランキンセンスや、オマーン産デーツとドライフルーツセットなども用意され、とても盛り上がりました。

         

このような素晴らしいサマーパーティを行ってくださいました遠藤名誉会長、新村事務局長をはじめ企画・準備された皆様、そして司会進行を務めて,くださった玉澤恵理さん、皆様お疲れ様でした。ありがとうございました。

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オマーン大使館にて講演会「オマーンとイラン」開催

2024-07-08

 

斎藤貢元大使

2024年7月3日水曜日、14時よりオマーン大使館において、駐オマーン・スルタン国並びに駐イラン・イスラム共和国特命全権大使を務められた齊藤貢様による講演会「オマーンとイラン」が開催された。約60名の聴講者が集まり、中東地域に注目が集まる今、その関心の高さを改めて示すこととなった。

齊藤大使の話は、古代からオマーンとイランがペルシャ湾(アラビア湾)を挟んだ隣国として戦火を交えつつも交流が盛んで、イラン・イスラム革命後、他のアラブ諸国がイランを警戒、対立する中でもオマーンはその友好関係を維持してきた事実から始まった。

2002年に発覚したイラン核開発問題以降も、オマーンを介してイランと米国の交渉は行われており、記憶に新しい2023年のイランとサウジアラビア、UAEの関係改善、イランに拘束された外国人開放交渉もオマーンが仲介したと言われており、このことがオマーンの国際的地位を高めてきた、と言う。

一方、イランと米国の対立は、米国が後ろ盾となったシャー(王)独裁体制がイラン・イスラム革命で倒されて以降、米大使館占拠人質事件をはじめ大変に根深いものがある。地域の覇者としてイスラム革命を輸出したいイランと民主主義を唱える米国が対立する中、2023年10月ハマスによるイスラエルへの越境攻撃をきっかけに、イスラエルによるガザ侵攻が始まり、ハマスを支援してきたイランとイスラエルの間に緊張が高まっている。その後もイランの代理勢力とイスラエルの衝突など「闇の戦争」が続いたが、イスラエル軍機(イスラエルは認めていないが)による在シリア・イラン大使館への攻撃により「闇の戦争」の不文律がついに破られたと指摘された。

さらに講演の終盤、話題はイラン最高指導者ハメネイ師の後継者が、故ライシ大統領の事故死により白紙に戻ったことと共に、7月6日のイラン大統領選・決戦投票に移った。齊藤大使は「保守派が油断した点と、改革派ペゼシュキアン氏が現政権への不満の受け皿となった点で票が割れ、決選投票に持ち越した」と分析し、「閉塞感をもつ有権者が投票ボイコットをせず、投票率が上がれば改革派が勝つ可能性もある」と付け加えられた。

講演会直後の7月7日未明、イラン大統領選・決戦投票の結果が出た。ペゼシュキアン氏が、改革派としては19年ぶりに大統領に当選したのだ。投票率は49.8%。過去最低だった第1回投票の40%を大きく上回り、齊藤大使の予想通りの結果となった。まさに機を得た講演会だったと言えよう。

 

2024年度の総会・講演会が開催されました

2024-05-27

 

5月16日、オマーン大使館にて2024年度日本オマーンクラブの会員総会が多数の会員ご出席の下開催されました。

ブサイディ大使閣下

総会は新村事務局長が進行され、冒頭にアルブサイディ大使よりご挨拶をいただきました。引き続いてのジョーンズ会長の挨拶後、プロジェクターを利用した総会本題に入りました。各議題は正面のスクリーンに映し出され、議題紹介、担当理事による説明、質疑応答、議決へと進み、最後に改選された役員が紹介されて総会は滞りなく終了しました。

 

 

 

総会に続いて大川真由子教授(神奈川大学国際日本学部)による「オマーンの最新事情」と題した講演会が行われました。大川先生は、今年2月末に2週間にわたりオマーン現地の調査をされたばかりで、まさにホットな情報に触れられる貴重な機会となりました。

講演は、2020年に即位したハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード新国王のリーダーシップによる新体制と国際化に伴う、オマーンの政治経済と社会制度の変化についてのお話から始まりました。若手人材の雇用対策や、今までは家族で介護していた高齢者の社会的なサポートなど、現代日本とも共通する課題があります。新王室は、長子相続を明文化し、近代化・国際化が進む中でSNSで直接情報を発信しています。それに伴って王妃や皇太子の存在感は高まりを見せています。例えば文化面では王妃の影響を受けたファッションが広まっているとのことです。また急速な近代化とSNSの普及と並行するように、初婚年齢の上昇、恋愛結婚や法改正による国際結婚の増加などの傾向も見られているそうです。

  

大川真由子教授

最後にガザ侵攻に対するオマーンでの反応で講演は締めくくられました。。オマーンでは大規模なデモ等は行われないものの、オンラインでの抗議やイスラエル・欧米企業の製品や店舗に対する不買運動とサウジアラビア製品への置き換えなど静かな抵抗が見られたそうです。

米国産に置き換えられたサウジ産清涼飲料

盛りだくさんな内容でしたが、現地で撮影した写真やSNSの著名な発信者の様子も提示され、オマーンの「今」をリアルに感じることができる講演でした。

なお、大川先生は2014年4月以来、10年ぶりにクラブでの講演にご登壇いただきました。前回はオマーンの家庭に実際に滞在したご経験をもとにしたお話でした。この10年の間には、50年近く在位した前国王の崩御と新国王の即位という大きな出来事があり、社会も国民の価値観も大きく変容している様子が印象的でした。

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首都圏と関西で「イフタールの会」

2024-04-07

 

日本オマーンクラブでは毎年ラマダン(断食月)に、日本で学ぶオマーン人留学生を招いて「イフタールの会」を首都圏と関西の二ヶ所で開催しています。ラマダン中は、ムスリムの人たちは日の出から日没まで一切の飲食を絶ちます。日中の断食を終え、最初に食べる食事が「イフタール」です。ムスリムの人たちは日没の祈りを捧げた後、家族や親戚、友人などとイフタールを摂りながら、団欒のひと時を過ごすのです。毎年およそ1ヶ月続くラマダンですが、今年オマーンでは3月12日に始まりました。

首都圏

オマーンクラブでは、母国から遠く離れた日本で暮らすオマーン人留学生にくつろげる環境でイフタールを提供し、また、日本人メンバーとお互いの国や文化に関する理解を深めてもらう交流の場として、3月31日(日)に東京・渋谷区にあるアラビア料理レストラン「ゼノビア」で東京地区の「イフタールの会」を開催しました。

   

1日の断食を終えて午後6時過ぎに参加したオマーン人留学生たちは「ラマダン・カリーム(恵み多きラマダンを!)」と挨拶を交わし、日本人参加者と共にイフタールの会が始まりました。最初にデーツを一口ずつ口に運びながら、徐々に体を慣らしてゆき、料理が運ばれて来るのを待ちました。

その後間もなくしてテーブルに運ばれてきたのは、パセリを主に使用したさっぱりとした風味のサラダ「タッブーレ」と、ひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」、羊肉と牛肉の詰め合わせ「クッべ」、茹でた羊肉とバスマティライスにヨーグルトをかけて食べる「マンサフ」、そして羊肉、牛肉、鶏肉の串焼きとサフランライスが添えられた「ケバブ」です。

    

日本人参加者たちは、普段口にする機会が少ないアラブ料理に舌鼓を打ちつつ、オマーンでの主食や、特別な時に振舞われるご馳走、そして日本ではいただきますという表現がアラビア語ではなぜ「ビスミッラー(神の御名において)」と言われるのかなどと、主に文化を中心とした幅広い話に花を咲かせていました。

参加者の中には、4月1日から東京都内での大学院生活を迎える留学生もいて、「ゴミを捨てようと思ったら表示が日本語で理解できず、そのまま部屋に戻ろうとしたところ親切に教えてくれた日本人がいて感動した」という、文化や言語の壁に直面した苦労と人の優しさに触れられたエピソードを聞くこともできました。

また、連休を利用してオマーンへ旅行する予定の日本人参加者は、留学生たちに現地でのおすすめ観光地やレストランなどの情報を聞き、気温が4月時点で30度を超えると聞いてとても驚いていました。

およそ3時間続いたイフタールは幕を閉じ、レストランを後にした参加者たちは駅に向かう途中で連絡先を交換し、「マア・サラーマ(またね)」と挨拶を交わし、再会を約束しました。

日曜日の夕方、異国情緒あふれる場所で文化交流の機会とイフタールを提供した日本オマーンクラブの心温まる「イフタールの会」は、たいへんに意義深いと再認識した次第です。

 

関西:

ラマダーン月も終盤に差しかかった2024年4月2日宵、桜に包まれはじめた京都にて、日本オマーンクラブ主催のイフタールの会(関西)が開催されました。

オマーンからの留学生2名と日本オマーンクラブ会員3名でトルコ料理を囲みながら、和やかな歓談となりました。

マスカット出身のヒダーヤさんは、この春にめでたく京都大学経営管理大学院を修了。来月に帰国する前に参加がかないました。実践的な学びが得られた日本留学には大満足のようで、日本各地への旅行話とあわせて、まぶしい笑顔で思い出を語ってくれました。帰国後の夢もうかがうことができました。

広島大学の修士課程で経済の勉強にいそしむマーリーヤさんは、なんと、このイフタールに参加するために、はるばる広島からバスでやってきたのだとか。オマーン文化に興味津々のクラブ会員3名からの矢継ぎ早の質問にもやさしく答えてくれました。

会話のなかで共通の知り合いがいることが判明するなど、”オマーン”がつなぐ人の輪を実感するような、日本オマーンクラブらしいイフタールとなりました。

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