イベント情報
「年の瀬忘年昼食会」がトルコ料理店で開催されました。
今年は「年の瀬お好み焼き会」に代わり、東京・神宮前のトルコ料理「ディーズ・メディタラニアンキッチン」で「年の瀬昼食会」が開催されました。理事を務めるフェルダ・ゲレゲンさんの紹介で、当日(12月5日)は好天にも恵まれ、35人の予約者全員が参加しました。
中江信事務局長の司会で始まり、ジョーンズ享子会長の開会の挨拶などに続き、オーナーシェフから料理の説明をいただきながら、約2時間、トルコ料理のコースを堪能しました。オードブル、米の入ったスープ、包み焼き風のピザに続き、メーンはビーフにルッコラをトッピングしたトルコ風の薄焼きピザ「ラフマジュン」。店一番のメニューだそうです。そして、ビーフのハンバーグとトルコのデザートで締めくくりました。有志による差し入れの高級ワイン、新谷智人理事にご提供いただいたデーツも大変好評でした。
今回の昼食会では食事だけでなく、ゲレゲンさんからトルコの観光やオマーンとの関係についてプレゼンテーションをいただきました。寺院は教会の周りに尖塔が後から建設されたといい、異なる宗教、文化の融合であったことが分かります。カッパドキアやトプカピ宮殿は有名ですが、温水があふれて石灰が棚田のようになったパムッカレの光景はめずらしかったです。地熱で温泉がわき出しており、場所によっては入浴もできると現地を知る参加者から聞きました。
オマーンとの関係では、両国の歴史的、地理的な位置付けを確認し、友好な関係にあることを改めて感じました。その後、質問コーナーでは日本語とよく似ているトルコ語が話題に。「ありがとう」は「ティッシュくれ」でも通じるとは驚きです。最後は、乳香を原料とした飴の開発などにも話は広がり、2019年最後の活動は無事に幕を閉じました。こうした活動がまた、オマーンと周辺国、そして日本との友好発展につながるように思いました。
2019年日本オマーン学生交流会が開催されました
11月23日、中野坂上駅から程近くの成願寺付属中野たから幼稚園にて、毎年恒例の「日本オマーン学生交流会」が行われました。前年までは「日本中東学生会議」という学生団体が会の運営をしておりました。今年は、私が同団体に去年まで所属していた縁から、国際基督教大学の中東文化研究会が交流会を引き継ぐ運びとなりました。
互いに初対面の学生ばかりなので、始めに自己紹介を一通り行いました。そして、オマーン国自体についてあまり知識がないであろう日本人学生のために、オマーン人学生の方に1時間ほど写真やスライド資料を交えながらオマーンを紹介して頂きました。私自身、幼少の頃に親に連れられてオマーンを旅行したきりでしたので、当時の記憶と言えば綺麗な海と砂漠とラクダという程度でしたが、オマーン国の概観をよく把握できる良い機会となりました。
発表の後は学生を複数の班に分け、日本人学生からオマーン人学生に対して質問をする等の談話の時間としました。オマーンの代表的な菓子である「ハルワ」の話が出た際、たまたま会の前日に「ハルワ」を食していたので嬉しかったものです。日本人学生にとって、有意義な時間となったことと思います。交流会には駐日オマーン大使のモハメッド・サイード・ハリファ・アル・ブサイディ氏とその家族が訪問して下さり、大使からはお話も頂きました。
昼食を挟み、後半は日本人学生からの発表となりました。内容としては、地方都市(福岡県)、歌舞伎、日本社会紹介といったところです。オマーン人学生の多くは来日してから時間が経っているであろうと思い、あまり主要ではない題材や日本の明るくない面も包み隠さず紹介できればとの思いがありました。発表の後は、前半と同様に、談話の時間を取りました。
交流会の後は、東中野にある「キャラバンサライ包」にて夕食会を開きました。昼間には交わせなかった類の話が出来、雰囲気もとても和気藹々としたものでした。その日の夜は成願寺さんの境内に合宿し、翌日の朝食後、オマーン人の学生達と共に座禅を体験しました。歴史ある成願寺さんには350年ほどになる九州鍋島家のお墓や第二次大戦の時の防空壕も保存されており皆で見学し、交流会を終了しました。(小サイズの写真はクリックすると拡大します。)
ICU中東研究会副会長
講演会「東京オリンピック2020への基礎知識」が開催されました
11月7日オマーン大使館で国枝たか子先生を講師にお招きし、講演会「東京オリンピック2020への基礎知識」が開催されました。司会は理事の岩城淳子さん。先生の華々しい略歴、JOA(日本オリンピックアカデミー)初代オリンピック憲章委員長、国際女性スポーツ学会会長を歴任という肩書から、もっといかつい女性が登場するのだろうと想像していた方も多かったのではないでしょうか。女性の立場が平等とは言えない時代を乗り越え、男性以上に活躍していらしたので、さぞかし男勝りな人に違いないと思われた先生は、たおやかな印象の小柄な女性で、やさしい眼差しを向けながら、しかし凛とした口調で話し始められました。
まずオリンピックの楽しさについて語られ。展示会や劇、舞踏、工芸等とのコラボがあることにこそ、スポーツとオリンピズムの本質的な違いがあること、オリンピックとは文化とスポーツの融合であり、主要な目的は平和な世界を作り、若者を教育し、差別撤廃と五輪運動を継続し、フェアプレイ精神を深めることだと語られました。一般的にはスポーツ大会とオリンピック大会がなんとなく一緒に考えられていますが、その違いを端的に説明されました。東京オリンピック2020でのボランティアに申し込んでいる多くの方々は、この違いに気づいているのかと、ふと疑問に思われました。
国枝先生のご講演は古代オリンピックに始まり、クーベルタン男爵が基礎を築いた近代オリンピックへと続き、その後、財政のゆきづまりを打開し商業化を提唱したサマランチIOC会長の話に及びました。彼の時代にオリンピック憲章や女性の参加の促進についても進展があったことを改めて考え、この四半世紀の間の出来事を思い起こす契機ともなりました。特にアニタ氏と共に女性の参加を推進した努力には共感しました。
ご講演後は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会場整備局で現在活躍中の会員中村誠さんからも江東区の会場での説明や、国枝先生への質疑応答が活発に行われました。東京2020がもうすぐ実現するので、会場の聴衆の気持ちも盛り上がりました。国枝先生の時宜を得たオリンピックのご講演に感謝いたします。
天野浩・名古屋大学教授と再訪した最近のオマーン
森元 誠二元オマーン大使/元スウェーデン大使からの寄稿です。
9月10日から13日の間、私は天野教授(名古屋大学未来材料・システム研究所未来エレクトロニクス集積研究センター教授、2014年ノーベル物理学賞受賞者)と共にオマーンを訪問する機会を得ました。前回、2017年の年末にご一緒して以来の再訪です。教授は11日にケンピンスキー・ホテルで250人余りの聴衆を前に講演し、青色LED発見に至る研究成果と目下取り組む課題について説明して好評を博しました。天野教授は青色LEDに次ぐ研究課題として、ワイヤーレスのエネルギー伝導によるInternet of Energyの確立に取り組んでいます。これが実現するとエネルギー・チャージの必要ない電気自動車、将来的には24時間空中に留まることのできるドローンや電気自動車も夢ではなくなります。ただ、その実現には、長距離のエネルギー伝導手段のみならず、受け取ったエネルギーを蓄える小型で軽量の蓄電池の開発を始め多岐にわたる分野の総合的な研究開発が必要になるそうです。興味深いことに、天野教授は規制が多すぎて現状ではドローンの実証実験すら容易でない日本を抜け出て、将来的には広大で規制のないオマーンを候補地の一つとして実験を行う可能性を考えているのだそうです。
講演の反響には大きなものがありましたが、ここでは一つだけご紹介したいと思います。それは15日付のアッルウヤ紙に掲載されたハーティム・アル・タイエ社主兼編集長(国家評議会議員)による論評です。そこでは、「ノーベル賞受賞者である天野浩教授の講演を聞く幸運に恵まれたが、この講演において天野教授は現代のサムライの肖像を見せた。国々の発展は、知識、人的資本、科学研究の3つの柱から成っているが、科学研究こそ国家が関心を寄せる中心事項であり、科学研究なしに成長を遂げることはできない。この点において日本は好例である。日本は第二次世界大戦の結果として広島と長崎に核の攻撃を受けたが、この躓きから立ち上がり、日本は世界の強国のひとつとなるため,復興への決意を新たにしてこれを実現させた。日本の復興は『リモコン』のボタンを押して実現したものではなく、すべての日本国民による真剣な努力が結実したものである。天野教授の2回のオマーン訪問を通して、天野教授は講演会に出席した若者たちに対して、イメージとインスピレーションを与えただけでなく、科学の分野だけでなくあらゆる分野においてプレッシャーに負けずに仕事を継続する能力の重要性を紹介した。」とありました。(以下 現地記事: カーソルをあて、クリックするとアラビア語の記事を読むことができます。)
9月15日現地紙論評
オマーンにおける理工学分野の高等教育機関では、国立大学であるスルタン・カブース大学の他に私立大学であるドイツ工科大学(German University of Technology in Oman)があり、そこではドイツのアーヘン工科大学の協力のもとに人材育成が行われています。前回の訪問以来、名古屋大学とドイツ工科大学との学術研究協力の機運が高まっており、今回我々には名古屋大学から天野教授の卓越大学院プログラム(「未来エレクトロニクスDeployer・Innovator・Investigator協働大学院プログラム」)を担当する准教授と工学研究科の助教がそれぞれ1名、それに事務員1名の計3名が同行し、ドイツ工科大学関係者の間で両大学の協力の可能性についても話合いが進みました。
滞在中は、天野教授と共に旧知のハイサム遺産文化大臣やアブドラ寄進宗教大臣も表敬訪問して旧交を温めることができました。私が所属する東京大学教養学部カブース国王グローバル中東研究講座にはオマーンの実業家モハメッド・バフワン氏の寄贈に係るアラブ学のための専門文庫があるのですが、そこの書籍の充実が話題になった際には、両大臣からそれぞれオマーンの遺産文化、イスラム教イバード派に関する図書を寄贈する用意があるとの親切な申し出がありました。10月下旬には寄進宗教大臣顧問が来日して駒場キャンパスで講演を行う予定なので、その機会に目録贈呈式を行うことが出来ないものかと検討しています。
今回一つ興味深かった点ですが、ドイツ工科大学はその広大なキャンパスに昨年からフィンランド・オマーン学校を創設し、ユニークな初等教育を開始しました。いずれ中等科にも拡大して、初等・中等教育はフィンランド式、高等教育はドイツ式(+名古屋大学の日本式?)の一貫教育を目指すとのことでした。キャンパス内に病院やホテルを設置する将来構想もあるとのことでしたが、壮大な計画には驚かされます。フィンランド学校には、フィンランド人校長や教師の他に英国人やオマーン人の教職員もいるのですが、これに関連して、算数について短期集中でもよいので日本人教師の派遣が出来ないものだろうかと相談を受けました。オマーン側で宿舎や諸手当てなどは用意される筈ですが、クラブの会員やお知り合いの中にどなたかオマーンで算数を教えてみたいという方はおられませんか。
我々の訪問は、丁度シーズンが始まったロイヤル・オペラ・ハウスでの歌劇「カルメン」の観賞で締めくくられました。日本オマーン・クラブの15日付ニュースでも紹介されていましたが、ブエノスアイレス・オペラハウスのオーケストラ演奏の下で歌手、踊り手や合唱団など総勢100名を超える出演者が一堂に登場する舞台は、私がかつて勤務したウィーンやベルリンの歌劇場のオペラと比べても引けを取ることなく、豪華絢爛で大変印象深いものでした。
以下は現地の新聞記事です。クリックすると記事が読めます。9月8日版は2ページ目から英語、9月12日版は全てアラビア語です。
オマーンクラブ恒例のサマーパーティ
庭園が美しい広尾の「レストラン シェモルチェ」で、8月22日、日本オマーンクラブの10回目のサマーパーティが開催されました。元オマーン大使の久枝大使ご夫妻やオマーン人留学生、会員の家族、ご友人の参加者を含む75名のご出席をいただきました。
まずは倉友桐さんの司会進行のもと、ジョーンズ会長のご挨拶、そして2012~16年までマスカットで在オマーン大使を勤められ現在明治大学で教鞭をとられている久枝譲治元大使による乾杯のご発声でパーティは始まりました。用意されたビュッフェは、オードブルからメインまで華やかなお料理が並び、加えてデザートの種類の多さに一同大満足でした。
そして今年のショータイムはプロのジャズ演奏家の安宅(やすみ)たく様、トオイダイスケ様、ボーカルの濱田麗様による「ジャズエンターテイメント」でした。こちらはジョーンズ会長と安宅たく様が元同僚というご縁で実現したそうです。会場中が濱田さんのパワフルでエレガントな歌声に酔いしれていた頃、突然、全員でスティービーワンダーの名曲を合唱することに!難易度が高く、ついていくのがやっとでしたが、心地よく歌えました。
続いては、恒例になりつつある「オマーンクイズ」の時間です。賞品の豪華さも健在で、「オマーンの記念硬貨セット」、「フランキンセンス入り美容オイル等」、「デーツとデーツシロップ」、「高級ワイン」、「オマーンの参考文献、書籍等」、「日オ国交40周年記念切手セット」、「前オマーン駐日大使夫人撮影の写真額」、さらに加えて「アムアージュの香水セット」や「オマーン国銀製コーヒーポット」など、会員の皆様からご寄贈いただいた本当に盛りだくさんの賞品の数々に、皆の熱意も高まりました。遠藤名誉会長の渾身のクイズは相変わらずクォリティが高く、全問正解者はいませんでしたが、最高得点者が複数人と判明し、順位決定はじゃんけんとなり、子供に返ったような楽しさとなりました。「オマーンクイズ」は今のオマーンを学べる大変良い機会になりました。
中締めは、当クラブ理事の金川弘美会員による一本締め。皆さん明るい表情で会場をあとにされました。
このパーティー開催に向けてご準備に尽力いただいた、遠藤晴男会員、中江信会員、久保田郁子会員、森田雅男会員、新村和利会員、久保田大二郎会員、石崎裕貴子会員、岩城淳子会員、司会を務めていただいた倉友桐様に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました!
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